東京アラートも、午前0時に解除されステップ3に移行ですね。
私は、都会の喧噪から逃れ、自然たっぷりの田舎に行きました。
なーんて、田舎の山の中のようだけども、
実はここ自宅から自転車で10分の散歩コースでみつけた木陰たち。
夏の散歩は太陽に打ちのめされるので、こういう木陰コースを探すのが大切です。
ちょうど夏の散歩コースが、通れなくなってしまったので、今日新しいコースをみつけることができて、ご機嫌な私。
19日までは県外への不要不急の移動は自粛なので、
この写真をみて、しばし帰省した気分に浸ります。
21歳の時に長野から東京に引っ越して、人生の半分以上を
東京で暮らすことになった私は、CSになる前から、
田舎が恋しくて、恋しくて、なにかと理由をつけては
帰省していました。
田舎に住んでいた時は、
「何にもねぇ」と文句言ってたくせにね。
18歳の私に、どこ見てるんじゃーっと頭ペシペシしたい
いざ離れてみると、
澄んだ空気、美味しい水、まるで絵画のような山々、
流れ星が見える夜空、四季折々のたくさんの
自然の恵みに溢れている土地に住んでいたことに
気づいたのです。
田舎にいた頃は、眼鏡してなくて星も見えなかったんだけども
化学物質過敏症発症、
そして原発事故がおきて、私の田舎暮らし願望、
やまのいえの願望は、ますます強くなっていきました。
田舎で自給自足の生活、 田舎暮らしがしたい!!
そう思い続けて、
帰省する度に、空き家を探し、見に行っては、
自分に足りないモノの現実を突きつけられます。
すぐに住める状態の家を買う(借りる)ためのお金、
タダ同然の家を自分たちで修理する技術と時間、
どちらもなかった。
これだ!
という条件の家は、中に入ると、灯油のニオイが
充満していたり、家中丸ごと防虫剤の家
そこに住む体力もなかったのね、、、
そして今回のコロナ
店から食べ物やトイレットペーパーがなくなり、
見えないウィルスの恐怖におびえる人々。
トイレットペーパーはなくても平気だけど
と、おびえた私。
でも、体力はついたけれど、他はあの時足りないまま。
そして、コロナで帰ることもできなくなっちゃった。
いーなーかーにー 帰れないーー るるるー
とはいえ、コロナでいつもに増して体調整えることを
優先して、毎朝の散歩、ラジオ体操、プランク・・!
5分間プランクできるようになった!!
食事や腸内環境を整えたりしながら、
朝の散歩中にドクダミを摘みながらふと気が付いた。
あれれ、
半径5メートルの自分の足元に
こんなに幸せがあるじゃないって。
近所の畑を借りれなくなったら、カフェスロー、元スタッフのあやみんの
紹介でつながった、国立のやぼはたけとのご縁。
東京で、田んぼもできるんだぞーー
やぼはたけでヨモギを摘んで、ヨモギ餅も食べた。
好きなだけ土いじりができる。
ドクダミだって、ヨモギだって、田んぼだって
東京にあるじゃない。
去年は藤野でも田んぼやらせてもらったじゃない。
もちろん、全部無農薬だよ。
家の前でもプランター野菜作りをデビュー
そして、
なによりも一番大切なものが東京にあること気が付いた私。
上京してから、お互いの環境がどんなに変わっても、私が過敏症発症しても、ずっと変わらず損得なしの関係でいられる、二人の親友。
二人の家の鍵まで持ってるのに、私の鍵は渡してない強欲っぷりは本当に損得なしなのか、会った時に問い詰めて下さい。
35年来の大切な親友二人とは、上京してなかったら出会えてなかったこと。
夫もそうなんだけどここは省略
何にも変えられない大切な宝が、自分の足元にあった。
足元を大切に、感謝して丁寧に暮らす
屋号につけた「ここいら」は長野の方言で「このあたり」という意味。
「自分の足元を大切に」暮らしていきたい思いをこめています。
田舎のお師匠さんに言われたことが、紆余曲折、らせん階段のようにぐるぐる、ぐるぐる いろいろな道をたどって、ようやく
自分の肝(ハラ)にストンっと落ちてくれた、
朝の散歩道でした。
友よ、 今頃?というツッコミはなしの方向でよろすく。
もちろん、CSさんが安心して泊まれる居場所
やまのいえ 作りを諦めたわけではないです。
でもそれは、今、自分がいる場所で1日1日を感謝しながら
丁寧に暮らしていくことで、
私にとってベストのタイミングで
ご縁が繋がるのだと思っています。
必要な時に、
必要な人、
必要なモノとコトはやってくるから。
先の理想ばかり追いかけないで、でも夢は捨てずに、
ここにある幸せに感謝しながら、始末のよい暮らしを
心がけていきます。
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