黄鶯睍睆(うぐいすなく)
今日の暖かい日差しが昨日の雪を溶かしています。立春を過ぎると太陽の光が温かくなりますね。
七十二候の 黄鶯睍睆(うぐいすなく)、こうおうけんかんとも読み、鶯が山里で鳴き始める頃です。旧暦を意識するようになって数年、ブログ更新する日の七十二候を入れても、はじめて聞くようなものばかりで読めないし調べないと意味もわからないけれども、立春から大寒まで二十四節気は少しずつ私の暮らしになじんできたようで、自然と共に暮らしていた昔の人たちに近くなったように感じ、豊かな気持ちになります。
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できるかぎり印刷のニオイは飛ばしています。
久しぶりのお気に入りのお散歩コース、もしかして、今年はじめてです。旧暦ではなく、グレゴリオ暦の今年でもしかしてではなく本当にはじめてでした。昨年の6月から仕事を増やしておかげさまで順調に続いているのだけども、毎日のように行っていたお散歩コースになかなか行けず、家のまわりの住宅街をサッサと歩くというパターンに変わっています。
前の私なら、住宅街を歩くと住宅から漂ってくる柔軟剤、芳香剤、防虫剤などに曝露して体つくりどころかぶっ倒れる状態だったけれど、今は「ショートコース」「超ショートコース」などと名前までつけてサッサと歩いています。
いろいろ名前つけるのが好きな、ここいら店長一家。
ちなみに観葉植物の名前はすべて「ピー」がつきます。
「ピーちゃん」「ピー助」「ピー太郎」 今度成長前と成長後のピーちゃんをお見せしましょう。
久しぶりに空気が全然違って気持ちよかったです。その前の私は、お気に入りのお散歩コースでも人とすれ違うだけでノックダウン寸前、ヘロヘロになって力尽きて歩くことを諦めて、家にこもって、お日様にもあたらず腐っていました。
蝋梅も花盛りを過ぎつつあり、1月に来れなかったことが少し残念でした。そして、ブログの下書きにしたためたままの紅葉の写真とそれにちなんだブログの記事がお蔵入りになっていることも、残念。今年の秋までとっておこうともくろみ中なのは内緒にしておきますが。
(してないね、、)
鶯の鳴き声は聞こえてこなかったけれど、辺りに生息しているカワセミが姿をみせてくれました。真ん中に小さーくいるのわかりますか?人の気配が好きじゃないカワセミ、人がたくさんいたからジッとこらえているように見えました。
幸せの青い鳥~ 今年も会えて嬉しかったよ。
あるからない
なぞなぞのようなタイトル
最近、ふと気づいたのです。
「ある」から「ない」ということを。
化学物質過敏症を発症するずーっと前のことですが、しばらく日常生活ができなかったことがあります。我が家の野獣夫の献身的な看病、親友たちの温かい見守りと励まし、たくさんの人に迷惑をかけ、助けてもらい、支えてもらい回復しました。
その当時の私たち夫婦は、今よりも自由になるお金と時間がありました。だから、私が働かなくても生活ができ、明日食べる米の心配はしなくてもよかったのです。そして、仕事から戻ってきてご飯を食べに連れて行ってくれたり、お風呂を沸かしてくれたり、掃除をしなくても何ひとつ文句を言わずに、献身的に看病してくれた夫がいたから、日常生活ができなくなっても大丈夫だったのです。(なのに野獣と呼ぶ私)
病気ってそんなに単純で簡単なものじゃないと思います。好きで病気になっているわけじゃないし*、治すと強く思えば治るというもんじゃない。そんな精神論で病気がよくなったらそりゃいいでしょうよ。と思うかもしれません。
*この話は長くなるので別の日に綴りますね。
だけど、あの当時の私、そして回復して仕事を増やした昨年6月までの私も、「悩む時間とお金がある」から「あれこれ言い訳つけて、できない」ことが多く、自分で「できない」を作っていたこともあるのではないかと思うのです。
曝露してまた悪化したらどうしよう。
せっかく動けるようになったのに、悪化してあの辛い日々に逆戻りはしたくない。
そんな不安と恐怖がいつも頭の中にありました。
それは、考える時間があったから。
考える時間もなく、働かないといけない状態だったら、自分にできる範囲で働くでしょう。
とはいえ、化学物質過敏症を抱えて働きたくても働けないというその気持ちは痛いほどわかります。CSを抱え日々の曝露に振り回されながらも働いている人達のそれはそれは壮絶な毎日も知っています。
患者会でも自分にできる仕事をはじめた人、いろいろな条件の中自分にあった仕事を探している様子が聞けました。はじめたけれど辞めた人、心身ともに疲弊するまで働いたのでしょう。みなさん本当にがんばっています。
たまたま私は腸内細菌叢を整えて回復してきたから、昨年仕事を増やせるようになったのです。その間、約1年くらい迷っていました。
それは、今すぐに動かなくても、雨風をしのげる家があり、蛇口をひねれば温水がでてくる暮らしがあり、迷う時間があるから、仕事がなかった。ということもあるのかなぁと思いました。
(これは、あくまでも私の場合、、です。)
あることに感謝の気持ちがないと、足りなくなる
このことを最初に教えてくれたのが、日常生活ができなくて悩んでいたときに見守ってくれた親友です。さんざん私の不安や悩みを聞いてくれながらも、「考える時間がありすぎる」と的確なことを言ってくれたことは、今もこれからもずっと心に残るでしょう。
そんな彼女は今は大病と闘いながら、体をはってたくさんのことを教えてくれています。
長年のつきあいのもう1人の親友や友人たち、野獣夫や家族、患者会やここいらのお客様、まわりの人達からもらったたくさんの恩をお返しする恩送りが来世の分まであるから、悩む暇はもうないんですよ~